ミルミル [家族の思い出]
高校時代、弁当を作ってもらっていた。
で、なぜか、亡母はミルミルを添えてくれた。
まぁ、それだけのエントリー。
最近、ミルミルが復活して、職場の「ヤクルトお姉さん」が持ってきてくれるようになり、思い出した。
と言うか、その前に、左党砂糖(表記これでいいのか知らん)さんが、何ともほのぼのとしたBGMを演奏なさっていたのでありました。
縁だなぁ。ミルミル。会社にいる時には、飲んでます。
毎日、届けてもらうようになり、亡母と左党砂糖さんを、思い出している次第。
か~さ~ん~。
さすがに生産終了か [家族の思い出]
ご近所バーで、かなり前になるけれども、雑談をしていて、母が編み機でセーターを編んでくれたことが話になった。
ご近所バーの御友人は、御母堂が和裁をなさっていて、着物を作ってくれたとかいう話をなさっていて、思い出した次第。
ブラザーの公式サイトをのぞいてみたけれども、既に、生産終了?
ブログのコメント、かたじけなし。
嬉しいことである。
伯父のこと [家族の思い出]
伯父が、食事をのどに詰まらせて呼吸困難になり、心肺停止になったと姉から連絡があったのが一昨日。
昨日は父から電話があり、心臓は動いているものの、脳の低酸素症でほぼ脳死状態とのこと。
たくさんいた、伯父・伯母も歳をとり、物故した人数もかなりいる。
親不孝 [家族の思い出]
父は、それはそれは厳しい人であった。
厳しいと言うよりも、癇の強い人だったと言うべきか。
私自身、優柔不断なところがあり、何かというとすぐに、怒られ拳固で頭を叩かれたものである。
ある時は、学校で使っていたそろばんで頭を殴られ、そろばんが壊れるという事もあった。
しかし、博識で愉快な側面もあるのではないかと思う。
備忘 [家族の思い出]
先日、父から電話があり、「手紙送ったから。」と。
昨日(4日)、横浜から帰ってきて、郵便受けを見たら、届いていました。
まぁ、内容は省略。
気分は複雑。
まぁ、ね。
わざわざ、エントリーにとして各必要はないのだろうけれども、自分用の、備忘として。
日曜の朝だけれど [家族の思い出]
気鬱
朝、父から電話。
最近父からの電話、多い。
体調(腰)のことが、気になるのか、ずいぶんと弱気な電話ばかり。
応対する、こちらも、気鬱になる。
かといって、何を言って良いのか、誰に相談できるわけでも無し。
こちらも、何とも・・・。
どうすればよいのか。
全く以て、ねぇ・・・。
父の話 [家族の思い出]
これは、二重の意味で「父の話」なのかな。
子供の頃、寝床で父から色々と話をしてもらいました。
具体的には覚えていないのだけれども、まぁ、他愛もない話だったのだろうと思います。
「宝島」と「十五少年漂流記」を足して、二で割ったような話だったような。
別に、夜伽というわけではなかったのだろうけれど。
当時の父の屈託もあったのかも知れない。
島原の子守歌 [家族の思い出]
日放協を観ていたら、「みんなの童謡」で「島原の子守歌」を取り上げていた。
父が滞在中も、多分土曜日同じように、「島原の子守歌」が流れてきて、父が、それに合わせて歌っていたよなぁ、と思い出す。
まぁ、それだけのことです。
なんとも・・・。 [家族の思い出]
昨日は、父と外で食事。
とは言っても、近所の、ざっかけない、居酒屋なのだが。
主人と女将は、父の顔を覚えていてくれて、喜んでくれる。うれしいことではある。
開口一番「痩せましたねぇ。」と。
そうかな?
治療二回目 [家族の思い出]
父は、治療二回目。今回は、付き添い無し。
駅から近いので、まぁ、迷う心配はないと思われるが。
午前中の治療で、治療後1時間ほど安静を保たなくてはならないらしい(麻酔の副作用の有無を確かめるため)。
麻酔を使うため、ごく低い確率で副作用というか、事故はあり得るようだが、ほぼ無視し得る確率らしい。とはいえ、心配は心配。
いずれにせよ、治療の首尾はどうか・・・。まぁ、一度や二度の治療で、すぐに効果を望むべくは無いが。
結局、昨日は本を買わず。
買うかもしれなかった本は、以下の通り。
書店で、手に取ったけれども、何となく買わず・・・。
それから、これ。
「サッカーファンでなくても楽しめます。」とのこと。サッカーファンではあるが、手にとって、少し読んで、結局買わず。
まぁ、上記二冊はいずれ買うような気がする。
初診 [家族の思い出]
仕事に関しては、某媒体とのやりとり続く。神経戦の様相。きわめて消耗する。
昨日は、午前中、何やかや仕事を片付けて、午後は半休。
家にとって返して、父の病院への付き添い。
家からは、杖をついた父の足で40分ほどか。
いやはや、大変な繁盛ぶりである@病院。
週刊誌や新聞に取り上げられただけのことはある。
杖 [家族の思い出]
日曜日、東京駅まで迎えに行ったときに、父の衰えに内心動揺を隠せなかった。
子供の頃、鉄拳主義だった父の面影は、遙かに薄れ、老いた人の姿がそこにあった。
しかし、自分の歩調よりも遙かに遅れて着いてくる父に対するいらだちは、ほとんどなかった。
それは、老いた父に対する諦念もあるだろうが、今の自分の心身の状況もあったのだろう。
エアコン [家族の思い出]
ブルーマンデーではあるが、仕事は待ってくれないし、以前と同様忙しい。
対外的な情報発信について、「査読」(えらそうだね)が数本。
新たに調べたりせねばならず、なかなか・・・。
先週の、報道内容の続編のチェックやら、なにやらあったりするし。
鶏をさばく [家族の思い出]
「マイカテゴリー」として、「家族の思い出」を追加。
子供の頃からの、父・母・姉と過ごした思い出、連れ合いとの思い出を、差し障りのない範囲で備忘として留めておこうと思って。
子供の頃、毎年年末には、お歳暮(?)として、鶏がまるまる一羽届けられていた。
いわゆる「抜き」という、内蔵とかを抜いたものではなく、内蔵がそのまま残っているもの。もちろん、羽根とかは処理されている。
父は、それを器用にさばき、もも肉・胸肉・ささみなどに分けていき、内臓もきちんと処理していた。
肉を取り去った、ガラは年末年始の、年越し蕎麦や雑煮の出汁を取るのに使い、肉は、雑煮の具になった。
今時、そういうことをしている家はないだろうし、「抜き」ではない、丸鶏もそうそう売っていないだろう。
今は、仏間になっている、四畳半の狭い茶の間では、色々家族の行事や食事の風景があった。
年始とて、雑煮の鶏肉を見て、ふとそのようなことを思い出した。








