「努力」がそんなに偉いのか?! [雑記]
仕事帰りに、ご近所のカフェに寄ったのだが…。
オーナーと話をしていて、「努力が大事。」という言葉出てくる。
まぁ、「努力」の定義にもよるが…。
例えば、一昨年の年末、耳目を惹いた派遣村ではあるが、そういう所に来る人々のことが「信じられない」と。
「努力してない、怠け者が、人の税金を使っている。」「ホームレスでも、それを良しとしている人がいるから、わざわざ、そういう人を助ける必要はない。」「今、私は努力して、税金は払っていないけれども、仕事は楽しい。そういう自分を考えると、(派遣村みたいなことをしているよりも)自分が助けてほしいくらいだよ。」。
わからない。多分、「努力云々。」と、上述の派遣村に来る人(まぁ、それも色々な方がいらっしゃいますが)、とについて彼我の認識の違いがあるのだと思います。
しかし…。
「努力」がそんなに、偉いのか?
カツラー、ならぬ、カヤマーなのかもしれないが、ことさら努力などしなくても、普通にしていればいいという世の中の方がよろしくないかねぇ。
青筋立てて「努力、努力。」というのが、果たして健全な世界なのかねぇ。
もちろん、働きもせず、のんべんだらりとするのがいいとは、言えないが(私は、したい)。
「努力!」で、人の尻を鞭打つ社会って、なんだか。
或いは、「努力」「自助努力」「自己責任」で、現状の不具合を糊塗する社会とは。
「努力」じゃなくて、「創意工夫」じゃないの?あるいは、「効率化」か。
なんとなく「努力」って、高度成長期の大量生産という感じがするなぁ。
まぁ、「努力派」の方々は「別に、肉体的な働きを努力とはいわないし、創意工夫も含まれる!」と、おっしゃるような気がしますが、なんというか「努力派」は、なんだか、体育会系というか、「とにかく身体を動かしていれば、なんとかなる。」という印象を受ける。もちろん、一方的な感覚であることは、申し添えておく)。
「努力派」については、なんというか、「がっつく」印象が否めない。
「紫苑物語」読まずに、「某某某某(実用的な新書)」を読むような。
そっか、実利的ということか?。
でも、それを言うと、「食べていかないといけないのだから、目の前の仕事とか、投資のことが大切なのは決まっているでしょう?『紫苑物語』?なにそれ?なんの『役にも立たない』ものを読んで、どうするの?」と言われそうですね。あぁ、確かに、そうですなぁ。返す言葉(あるけど)ありません。
では、経済学は?
宇沢先生の御著書とかは?
なんだか。
力を入れずに、頭力で、のほほんと過ごすほうが、楽じゃないの?(「紫苑物語」読む方が、よほど頭を使うのだけれどね。)
なんだか、「努力」って、頭が悪い感じがするねぇ。
そりゃ、私だって、前職の時には学会で発表したり、研究会出たり、へこへこ動いていたけれども、それをことさら「努力」とは思わなかったのだがなぁ。楽しかったし。
「努力派」って、別に、「とりあえず、事務系だろうが、営業系だろうが、なんだろうが(乱暴だね)、動いてろ!」という印象があるのは、私の偏見ですね、そうですね、申し訳ありません。
まぁ、そのことと、根本的に、現在職が無くてホームレスになっている人とを、引き比べることはできないだろうけれど。
自分が「努力」しているという、ドーパミンが出ているのだろうか?
ちょっと、自身、議論の論点・焦点が、整理できていない気がするので、これで〆。
とにかく必要なのは、休息とクリニックだなぁ。
後は、音楽。
あとは、知恵をどう出すか。








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